日本大学藤沢高校野球部エースとして活躍。1998年春の選抜高校野球大会ではチームをベスト4進出へと導いた。
日本大学進学後、3年時の2001年には、エースとして17季ぶりのリーグ優勝に貢献。
2002年のドラフトでヤクルトスワローズ(現東京ヤクルトスワローズ) から3巡目指名を受け入団。
プロ1年目の7月に初登板を果たし、以降先発ローテーションに定着。
2年目は怪我の影響で登板機会はなかったが2005年に一軍復帰を果たし、待望の初勝利をマーク。
6年目の2008年からは5年連続で2桁勝利を挙げる活躍で、2009年には最多勝利投手賞(16勝)にも輝いた。
その一方で、3度にも及ぶトミー・ジョン手術など、計10度(うち1回は引退後)の手術を敢行。
度重なる怪我や手術に苦しみながらも、復帰後には、150km/hの圧巻の投球や6勝を挙げる活躍で2015年にカムバック賞に輝いた。
2019年に現役を引退。
2020年から東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍投手コーチに就任し、データの活用や自らの経験を踏まえ、若い投手陣を中心に指導した。
2022年からはルートインBCリーグの福島レッドホープスの投手チーフコーチ兼企画運営に就任。福島を拠点に野球を通じた地域創生にも尽力した。
2024年2月16日、2025年より本格的に活動する、新たな社会人野球チーム・マルハン北日本カンパニー硬式野球部の初代監督に就任が発表された。